新しく生み出す前に、今ある命の行き場を
保健所には犬や猫が溢れています。
季節になると、野山で産まれた子犬や子猫が、たくさん収容される保健所もあります。倉敷保健所も、そのひとつです。
このように、保健所の中で出産して、子育てしているお母さんもいます。彼女の場合、自分の子ども達だけでは無く、他の子犬にまでミルクをあげたりしてくれるそうです。
兄弟もたくさん収容されますし、生まれて間もなく母親とはぐれたコもいます。
脚が無いコもいますし、迷子のはずなのに迎えが無いコもいます。
彼らには「新しい家族」が必要で、新しい家族が出来なければ、過酷な運命が待っているケースが殆どです。
そんな彼らが、何十万と存在する中で、まだ行くあても無いままで、商売の為に新しい命を意図して創り出す必要は、どこにあるのでしょうか?
殺処分の数だけでも、5万程度存在しますが、殺処分を免れた命でも、「仮のおうち」にいる犬猫はまだまだ何十万という数です。それらの受け皿は、愛護団体やボランティアという、「善意」によって賄われています。
消費者が欲し、繁殖屋が産み出す前に、目を向けるべき命が、既にそこに存在するのでは無いでしょうか?
救うべき命が全て解決した段階で、再度「意図して生み出す」必要があるかどうかを考えるのが、正しい手順です。
一方で命を処分しながら、一方で同じ犬や猫という命が、人の手によって作られる。
日本んのペット業界とは、一体ナニモノなんでしょうか?