ヒトラーとブロンディと安楽死を考える
皆さんは、ヒトラーが愛犬家だった事をご存知でしょうか?彼の写真には、頻繁に「ブロンディ」という、雌のシェパードが写っています。
ヒトラーの愛人で、共に自殺する1日前に結婚した「エヴァ・ブラウン」は、ヒトラーのブロンディに対する溺愛ぶりに嫉妬し、「見られていない所で蹴っていた」と言われている程、ブロンディは可愛がられていました。
ナチスの宣伝記事には、ブロンディの事を「ヒトラーの動物の恋人」として紹介されています。
ヒトラーが自殺によって命を落とす事になる、大戦末期に過ごした「総統地下壕」にも、ブロンディは同行していました。
ここから書くように、ヒトラーとブロンディは最期の時の寸前まで、恋人やナチスの首脳たちと同じように、行動を共にしていたんです。
1945年4月29日、11歳のブロンディはヒトラーが自殺に使う予定の「青酸カリ」の効力を試すために毒殺されます。なんと、ブロンディは同じ月に、5頭の子供を産んだばかりでした。ヒトラーはその内1頭に、自分の名前の由来であり狼を意味する「ヴォルフ」という名前を付けています。仔犬のうち4頭は、ブロンディと同じように毒殺されますが、ヴォルフのみが行方不明になったそうです。
ブロンディは口に毒を詰め込まれる事を最後まで拒み、眼差しはずっとヒトラーに向けられていたそうです。ヒトラーが退出した後も、その先をずっと見続けながら息絶えました。
ヒトラーと、妻になったエヴァ・ブラウンは、二人ともブロンディの死の翌日、揃って自殺しています。
ヒトラーが行ったのは、毒殺だったので「安楽死」ではありません。しかし、当時の彼等の状況を考えれば、「この後の耐え難い苦しみからの解放」という意味一点において、それに近い考えだったのかも知れません。
今でも日本と西洋では、宗教観なども関与して「安楽死」「尊厳死」においての、許容の幅に大きな違いがあります。私は、仮に許されるとすれば「尊厳死」に準ずるところまでが、日本では限界であるべきだと考えます。
この後に待ち受ける、あるいは現在進行形の「耐え難い苦しみからの解放」にのみ、「安楽死」が適用され、それ以外においては認めるべきでは無いと。
今、単に障がいがある事や、譲渡が行い難いという安易な理由から、「安楽死」が選択肢として浮かび上げられそうな機運があります。そしてそれは、公式な「殺処分」にはカウントしないという、アクロバティックな反則技まで持ち出して。
それが私の「杞憂」なら良いのですが、本当にそんな流れがあるとすれば、あの「ヒトラー」にも劣る行為だと言わざるを得ません。