ペットの売買がない日本へ 澤木のブログ

ペットを取り巻く環境の問題を、辛辣に取り上げて参ります。

【闘犬を今すぐに廃止せよ】

グラディエーターという映画がある。主人公は円形闘技場の中で、死闘を繰り返していく反骨やある意味サクセスを描く映画。だが「死闘」であるという事は、主人公が勝ち残る一方でもちろん命を落としていく「相手」がいるわけである。

 

そして何よりも大切なのは、これはローマ帝国時代中期の物語である事。当時のヨーロッパの身分制度は酷いものであり、何よりも統治にとって大切なのは、民衆の不満を逸らす事で、そのツールとして人の命も顧みない剣闘技があった訳である。ローマ帝国時代ですら、禁止されたり復活したりを繰り返している。

 

現代の剣闘士とも言える格闘家だった、故山本KID徳郁氏は生前、闘犬の飼い主を目の前にして

「人間の(私利私欲の)ために戦っているというのが理解できない」

闘犬は、戦えない状態になったら殺処分される犬も多くいる」

「(犬の痛みを知るために)飼い主同士も戦って痛みを知るべき」

「しっぽを振るのは別に喜んでいる時だけじゃない」

と言っている。身体を使った闘いを知るからこそ、自分の意思で闘っている訳ではない犬を、こんな蛮行に巻き込む事に反対していた訳である。

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現代には娯楽があふれ、闘いが観たければスポーツとしての格闘技もあるし、お気に入りのチームを作って野球やサッカーを観戦すれば良い。家にいながら映画も観られるし、キャラを自由に動かして何でも擬似体験できるゲームもある。

 

闘犬の身体は見事なものだ。それを死をも厭わない望まぬ闘いに使う必要は、全く無い。かたや、それに興じている協議会や飼い主の身体を見ると、犬に犠牲を強いながら自堕落な生活をして醜い。

 

実は青森も闘犬が盛んだ、という記事の中で「笑いながら」観に来て欲しいと言ってた責任者がいたが、自らがリングに上がって闘犬の飼い主とどつき合いか噛み合いでもしたらどうか?地元のテレビ局も、さも面白い「見せ物」として報じてくれるのではないか?

 

闘犬を格闘技に例えたり、断尾や断耳をピアスやタトゥーに例える愚か者がいるが、自分の意思で選択できるかどうか?という最も大事なところを見落としている時点で、全くもって知性が足りない。

 

闘犬や闘鶏は早々に禁止にすべき、現代に必要のない幕を閉じるべき負の遺産である。

 


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