生体販売反対の論拠をまとめます①
私は生体販売に対しては、黒人解放運動のマルコムX、インド独立のチャンドラ・ボースのような立場を貫きます。すなわち、対話は他の人に任せるとして、断固反対・断固拒否の姿勢を保ち続けたいと思います。
(左ガンジー・右ボース)
これには、様々な意見や反応も御座いましょうが、「対話」だけで物事が前に進むなら、日本の外交はこんなに困難ではありません。対話とは、相手が聴く耳を持っている時に成立するもの。先の過激なマルコムXに対しては、キング牧師という対話派がいました。武闘派のチャンドラ・ボースに対しては、皆さんご存知のマハトマ・ガンジーという対話派が存在しました。両輪が存在したからこそ、黒人は解放されて、インドは独立を勝ち取ったのが歴史的な事実です。そんな事からも、私ぐらいは生体販売に対して、常に問題ばかりを発信する立場として動く必要があると思っています。
さて、私が生体販売に反対する最も大きな理由が、その裏にある犬猫の死亡数の多さです。
このデータは古いですが、年間の流通数は2017年度に過去最高の85万頭、死亡数は2万5千という推移で、毎年2万4千前後の流通過程での死亡が確認されています。また、数の管理の報告が義務付けられているにも関わらず、8割強の業者しか報告がなされていない事も分かっています。報告をしないような業者ほど、管理もずさんなのは明らかであり、死亡率などはもう少し高いのが現実だと予測できます。
さて、ここには死産が含まれているかどうかも、業者によって違っているという根本的な問題は置いといて、少なくとも消費者がブリーダーから直接購入する形だけが残れば、「流通過程での死亡」はほぼゼロにする事が可能です。
なぜなら、ペットショップの何十万〜何百万という全国のガラスケースという行き先があるから競り市が存在し、競り市が存在するから繁殖業者は「行き先」を気にする必要も無く、ジャンジャン産ませる事が出来るわけです。もし、ガラスケースという受け皿が無ければ、繁殖者は今のように安心してジャンジャン産ませる事が出来なくなり、予約が入った数だけ、つまり行き先の決まっている出産しか出来ず、不用意な流通死は防ぐ事が出来るという事です。
次に、よくある反論に対する反論を、皆さんにしっかりと考えて貰いたいと思います。
こういう、生体販売の欠点を突き始めると、殆どのケースで「良いブリーダーもいる」「良心的なショップもある」「良い店員さんもいる」という、的外れな反論が起こります。
そう、「的外れ」である事を、こちらがしっかりと認識して反証しないといけません。
私たちは、何について生体販売の欠点を論じてきたでしょうか?流通全体での死亡数の多さや、それを支えてしまっている全体の仕組みについてです。つまり、反証があるとするなら、「流通過程の死亡数の多さには、こんな良い点がある」「犬猫流通の仕組みは、今のままが最適である」というもので無いと、マッチしないわけです。
良いブリーダーもいる、良心的なショップもある、良い店員さんもいる、、、、、。
「でしょうね、、、?」としか言いようがないです。
中華人民共和国という国家は、一党独裁で少数民族をとことん弾圧し、臓器密売の疑いもあり、都市戸籍と農村戸籍と戸籍を持たないような国民が差別的に混在して、他国の領土を脅かす危険な国家だ!という話に対して、「中国人にも良い人はいる」と言ってるのに似てます。「暴力団にも良い人はいる」「戦争にも経済効果がある」etc、、、。
いえ、全体の成り立ちとして、毎年2万4千前後の命を犠牲にしないと成り立たない商売って、本当にビジネスと呼べますか?という話。
こういう反論が来たら、「いえ、関係の無い話をしないで下さい。今は個別の店の話なんかしていません!」で終わりです。
まだまだ、生体販売には問題は山積みです。今回はここまで。