甘みは業界、苦味は他人任せ
日本に保護犬や保護猫が居なくならない限り、そこに関わる保護譲渡活動は必要です。いまは大きな問題になっていませんが、一部ではボランティアや愛護団体の疲弊という話題も浮上しつつあります。
そもそも保護犬や保護猫の源泉たる、生体販売業界や無責任な飼い主が、「金儲け」や「楽しいだけの動物」という、美味しい部分だけを甘受しているのは大問題です。工場でも時代の流れと共に、「金儲け」だけ甘受して「工業用水」を垂れ流していた時代は終わり、自分達で汚水を処理するような、「社会的役割」を果たすのが正しいと言う姿勢を取ってきました。
なぜ、生体販売業界だけは、命を生み出し金儲けに使い、その後始末は「行政(税金)」と「ボランティア(善意)」に投げてしまう事を許しているのでしょうか?
私が生体販売を辞め、保護譲渡活動に転換した時に、当時の愛護センター所長は言いました。
「本当なら、犬のお陰でご飯が食べられたんだから、ペットショップは売れ残った犬にプレゼントを付けてでも、飼い主を探してあげるのが筋だと思うよ」
そうして見付けた飼い主が、良い飼い主かどうかの問題は別として、ペットショップはそれぐらいの腹づもりで、犬や猫に接してもバチは当たらないと思います。この所長は私がいつ訪れても、人馴れさせたい犬を散歩させている姿が印象的でした。
生体販売業界やペット業界は、自らの社会的責任として、殺処分や譲渡に関する問題に取り組むべきです。それは、自らの利益を削ってでもやるべきだ!他の業界は、少なくともそういう時代に流れを経験してきました。
ただ、そのような社会的責任と混同してはいけない、しかし見分けがつきにくい活動もあります。それは、子犬工場で必要無いとみなされたコや、ペットショップで売れ残ったコ「だけ」を引き取り、厳選な譲渡条件も設けず、年間2,000頭もの譲渡を続けていくような団体があるという事です。
これは、代金を請求するかどうかが違うだけで、ペットショップで金さえ払えばバンバン無責任に売り、バンバン無責任な飼い主を作ってきた流通と、ほとんど違いの無い無責任な活動です。言い換えれば、「生体販売の下請け業者」です。この活動は、一見すると良い活動のようにも見えますし、もしかすると良い活動と思ってやっている人もいるかも知れません。しかし、結論から言うと彼らも生体販売や子犬工場を「支えている」事に他ありません。
生体販売がある限り子犬工場は生き延び、子犬工場がある限り不幸な犬は居なくなりません。