ペットの売買がない日本へ 澤木のブログ

ペットを取り巻く環境の問題を、辛辣に取り上げて参ります。

「殺処分ゼロ」はゴールじゃ無い

これを、どれだけの人が気付いているでしょうか?「殺処分ゼロ」は通過点でしかありませんし、その言葉にこだわり過ぎると、環境省が定めたように、「殺処分に含めない殺処分」のような「言葉遊び」が始まります。「命」が掛かっている事なのに、「言葉遊び」をやってるんです。

 

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この状態で、一生懸命水をすくっているのが、今の日本の殺処分を取り巻く環境です。

 

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この「ゼロ」とは何を指しているのでしょうか?都知事選の時に掲げた「ペットの殺処分ゼロ」という、どうにでも解釈できそうなスローガンは、どうにでも解釈できる環境省の定義によって、既に「犬について」は達成されたと聴いて、憤りを覚えました。何もせずに達成できる「ゼロ」って、本当に犬猫を救う事になっているでしょうか?

 

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「殺処分ゼロ」は出口論です。出口の話ばかりしている間は、ハッキリ言ってイタチごっこにしかなりません。皆さんに、広島の殺処分ゼロのゴールが見えるでしょうか?神奈川県が高らかに宣言する殺処分ゼロは、オールオッケーの状況でしょうか?巨大な施設も満タンになり、行政から引き受けるボランティアは無理をし過ぎて疲弊しているのが、殺処分ゼロの裏舞台です。

 

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「殺処分ゼロ」になったからと言って、犬猫も関わる人も幸せとは限らないのが、現状の殺処分ゼロです。これは奇しくも、ボランティアが大変な思いをしている、神奈川県のスローガンのようですが、殺処分ゼロの次を考えるという意味では、正しい言葉かも知れません。


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「殺処分」は行政で行われる処置です。そこがゼロになっても、犬猫が幸せになったとは限りません。神奈川県の例だとボランティアが無理をしている、広島は民間施設が満タンで人手不足、繁殖屋でこき使われている繁殖犬は?毎年流通過程で死ぬ2万4千の犬猫は?飼い主に虐待されている犬猫は?問題は山積みです。

 

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このポスターにあるように、水をすくう事だけでなく、同時に蛇口を閉める事を考えないと、水が流れてくるのを止められません。川の下流をいくら掃除しても、上流が汚れていてはキリがありません。

 

保健所にいる犬猫を救う事は、本当に尊く崇高な行いです。しかし、真に不幸な動物をゼロにする為には、もう一方の蛇口を閉めるアプローチも必要なんです。それは著名な方や、行動的な方が進めてくれる面もあるでしょう。

 

私達は、法改正を求める署名や、そういう活動に参画する候補者への投票、そして今や自分自身も発信者となれる、記事の投稿やシェアなどで情報を拡散する事で、貢献する事もできます。

 


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