ペットの売買がない日本へ 澤木のブログ

ペットを取り巻く環境の問題を、辛辣に取り上げて参ります。

「殺処分ゼロ」というスローガンを目標にする愚かさ

昔は誰でも何処でも「殺処分ゼロを目指します!」と言ってた気がする。今は、かなりその言葉の呪縛は解けてきた。特にアンテナを張って、先進的な情報を踏まえながら活動しているボランティアや愛護団体ほど、その「言葉」が持つデメリットや重荷を理解して、避けているように思う。

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SNS上での知人だが、「収容数」と「譲渡数」と「殺処分数」の相関を分析した人がいて、多くのメディアが伝えているような「譲渡が増えたから殺処分が減った」という誰もが腑に落ちる解説が、半ば印象操作だという事をつまびらかにした。

 

この右肩下がりのグラフと、しっかり相関が確認できたのは何と「収容数」だという訳である。私も驚いたが、どうやら数字を追っていくと事実のようだった。メディアが言う「譲渡が増えたから、、、」はどうかと言うと、こちらは数年前から3万頭前後で頭を打っている状態が続いていた。

 

つまり、「収容数」-「譲渡数(3万固定)」=「殺処分数」だという事である。

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恐らくは、官庁も行政も気付いていたのでは無いかと思う。そこを冷静に判断できず、私達はメディアの書く「譲渡が増えたから殺処分が減った」を分析もせずに盲信し、このまま頑張り続ければ、その延長線上にゴールが見えてくると考えて、更に努力と無理をする事になっていった訳である。

 

その間、動物愛護法改正によって、業者からの引き取りが制限される事になる。つまり「収容数」を減らす為の施策である。もちろんそれによって、それまでは繁殖屋や生体販売業者から引き取っていた犬猫を拒否して、行政は「収容数」と「殺処分数」を減らす事に成功する。しかし、保健所に犬猫を押し付けていた業者が、素直に終生飼養に応じるわけもなく、悪名高い「引取屋」が登場する事となる。また、純血種専門の愛護団体なども、時を同じくして登場する事となる。

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オリンピックや動物愛護法改正のタイミングが重なり、海外からの目や法改正をできるだけ小さい範囲に留めたい業界からの圧も踏まえてか、環境省は更に「小手先」で殺処分数を減らす方法を考える。

 

「殺処分に含まない殺処分」のカテゴリ作りである。

 

①譲渡に向かない犬猫の殺処分

②収容後の死亡

③①②以外の殺処分

という定義において、今後「殺処分」としてカウントするのは③に限るとした。これで、①②の理由で殺した犬猫はカウントされず、「殺処分ゼロ」は非常に達成し易くなり、もうかつて動物愛護家たちが目指した「真の殺処分ゼロ」は日本から消え失せ、その言葉だけが意味を変えて残る事となった。

 

どうやら、東京都は「殺処分ゼロ」を達成したらしい。では、上の表にある致死処分になった命は何だったのか?死しても「死」にすら数えられない彼らを脇に置いて、「殺処分ゼロ」と色めき立つ政治や行政やメディアとは、いったい何が目的なのか?

 

「殺処分ゼロ」などという言葉は、今や歪な思惑がうごめき、オリンピックや動物愛護法改正に間に合うように調整された、とても純粋とは程遠い魔物に成り代わってしまった。

 

「結果」ではなく「言葉」を目標にしてしまった愚かさが招いたこの事態を、「死」にも数えられない犬猫にはどう説明すべきか?

 

また、ボランティアや愛護団体のもとへエスケープする事による「殺処分ゼロ」は、極論では場所を移したに過ぎない。つまり「善意」に対する依存。それを政治家が我が物顔で、手柄のように言ってのける問題も、近年顕在化した例があった。

 

政治や行政は、数字のコントロールでは無く、避妊去勢をはじめとした、犬猫の数自体のコントロールを真剣に啓発して、収容数と殺処分数を減らす努力をしてもらいたい。ボランティアや愛護団体といった民間は、できる限界を超えてやっていると思う。

 


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