私から見ると、「殺処分ゼロ達成」という名目が欲しいだけの人達に配慮して、環境省は「殺処分」のカテゴリを3つに分けてしまい、その内の2つについては「殺処分」に含めない事を決めました。つまり、「殺処分に含めない殺処分」を作った訳です。
彼は、生まれつき後ろ足が2本ともありません。しかし、海外ではこういった障がいを持った犬猫にもチャンスが与えられ、理解を示す飼い主が現れる話をいくつも目にします。
彼も心ある飼い主に育てられ、何ら普通の猫と変わらない生活を送っています。
キャットタワーにも登れる能力を持ち、家に入って来たトカゲも追い回しているそうです。
彼は、後ろ足があるけど、全く動きません。それでも2足歩行の我々と違って、移動にはそんなに苦労はしないんです。
飼い主さんと一緒にトレーニングして、、、
こんなに大きくなりました!
車椅子があれば、どんな所にも行けます。みんなと何も違わない生活が送れます。
お気に入りのオモチャだってできたし、こんなめちゃくちゃな笑顔まで見せてくれます。
環境省が考えた「殺処分に含めない殺処分」は、彼らのような障がいを持つ犬猫に、生きるチャンスすら与えない可能性があります。
環境省は「殺処分」のカテゴリを、
①譲渡に適さない犬猫の殺処分
②①以外の犬猫の殺処分
③収容後の死亡
に分類して、②だけが「ゼロ」になれば、「殺処分ゼロ達成」を謳えるようにしてしまいました。つまり、①や③は「黙殺」すると定義したに等しい訳です。
上で見ていただいた、後ろ足のない猫や、後ろ足が動かない犬は、理解のある飼い主に巡り会えば、他の犬猫と何も変わりなく幸せな生活を送ることは充分可能ですし、その実例も非常に多くあります。
ところが日本では、「殺処分ゼロ」を達成したいが為に、その言葉が持つ意味すら変えてしまいました。今、役所で定義された「殺処分ゼロ」は、私たちがかつて目標にした「殺処分ゼロ」とは異質な「偽殺処分ゼロ」に変えられてしまいました。
また、私が問題視した①のカテゴリだけでなく、③についても問題だという意見も頂きました。③は、事故や病気などで収容された犬猫が、やがてそれらの原因により保健所の中で死亡したケースを想定していますが、その方の問題提起では、「その時に然るべき医療が受けられていないのでは?」というものです。つまり、見殺しにしていないかどうか?の問題が、ブラックボックス化する可能性があるという事です。
これらをクリアにするのは簡単です。こんなカテゴリをやめてしまえばいいだけです。こんな、中身を変えてまで達成する「偽殺処分ゼロ」に、なんの価値があるのでしょうか?「誰も引き取り手がいなくて殺処分したので、今年は殺処分ゼロではありませんでした」「事故によって収容されて、やがて保健所の中で死んだので、今年は殺処分ゼロではありませんでした」で、一体誰が困るのでしょう?
早く手柄が欲しい政治家でしょうか?殺処分があると批判される行政でしょうか?「殺処分ゼロ」を続けないといけない団体でしょうか?
真摯に活動している人々にとって、「殺処分ゼロ」は努力や工夫の先にある「結果」です。こんな「偽物」を振りかざすようになると、真摯な人ほどモチベーションが下がります。
そして、いつも民間の何歩も後を遅れて動く行政は気付いていないのかも知れませんが、今や私達の共通認識として「殺処分ゼロ」がゴールではない事は常識です。「殺処分ゼロ」は行政の中の話であって、その向こうには「繁殖のための犬猫の不幸」「無責任な飼い主による犬猫の不幸」「動物虐待問題」など、まだまだ問題は山積みです。
私達は「不幸な命ゼロ」を目指していかないといけません。環境省が決めたカテゴリも、私達の声でいかようにも調整できますから、まだ手遅れではありません。このカテゴリを知らない人が多すぎるだけです。
五体不満足な犬猫にもチャンスは必要です。